いそ生活

不文律の文

0917

去年の夏はいろいろな所に出かけた。今年の夏はどうだろう、あんまり出かけてない。でもいろいろあった。馬鹿なことをして十代最後の夏を棒に振った気もするし、充実させられた気もする。

 

いまはとても勉強がしたい。勉強、勉学。結局ずっとずっと学歴コンプがあって、それで東大とか院生とかいう言葉に惹かれてホイホイ殺されたようなものだから、私だって頭良くなって見返してやるわっていうやつなんだとおもう。馬鹿な文、わかってる。

 

私の学歴コンプが消えたところで私の希死念慮は消えなくて、どうしても消えないものは消えない。自己承認欲求が満たされても、私の希死念慮はずっとある。毎日まあまあ楽しいし、友達と話してるのも楽しいし、好きな人に好きって言われたら嬉しい。でも希死念慮が消えない。やっぱり、私は死にたいと思っている。

なぜ死にたいのかはわからない。私より不幸な人はいるし、私だって生きたくないわけじゃないけど、死にたいなと思っている。勉強をして、良い結果を生んだとて、私は死にたいしあわよくばみんなで死にたい。ミサイルが来たら嫌だなあなんて考えたこともなかった。来るときは来るんだろうな、そしたら死ねるんだな。

希死念慮は、希死念慮は、希死念慮は。

勉強はしたい。頑張りたい。大学ってそういうところだから、勉強をしたい。知識欲を満たしたい。

 

知識欲を満たしてくれる人が好きなのであって、どうやら別に高学歴の人が好きなわけではないらしい。正直、東大理系院生なら誰でも好きになっちゃうんでは?と思ってたのだが、実際のところ東大理系院生でも私の知識欲を満たしてくれない人は好きにはならないし、価値観の違う人も好きにはならないんだとわかった。私のこと好きになってくれました?ありがとう!!でも私は好きじゃない!!なぜなら知識欲も価値観も無理だから!!!!まあ、裏を返せば私が過去に好きになった人は…ってことなんですけど、別にもういいんですそれは…。知識欲を満たしてくれ〜。でも希死念慮はあります。

勉強をしましょう!!希死念慮と共に!!

0414

 

なんか変な夢を見た。漫画のコマをひとつひとつ映し出してるような感じ。よくわからない。死にたい。自己嫌悪で死にたい。もう全部嘘!

 

訪れる幸せから逃げてしまった。

未知で怖くなって逃げてしまった。

否、別に幸せではなかったのかもしれない。

そう思わないとやっていられない。

 

毎日、毎日、義務的に過ごしていて、やっぱり、もう19年も生きているのだから、新しいことなんてなかなか出会えないけれど、それでも、見つけていかなければならない、はずなのだけれど。

 

新しいこと、未体験のこと、難しいなぁ。

自分に自信が無いからなあ。

 

桜の森の満開の下、怖くなって逃げた。

花びらを踏んで、歩いた。

0407

もう生きること以外やめたい。

部活の幹部、嫌だなぁ。

 

忙しいを理由にしてはいけない、それはなぜなんだろう。

忙しいからできないことだってある、忙しいから忘れてしまうこともある。うーん、甘えなんだろうな。

 

怒られたら、もう落ち込むしかないんだよ。頑張ろうって思えないんだよ。人の上になんか立てないよ。幹部職になんか向いてないんだよ。

ずっとずっと後輩でいたいよ。ずっと誰かに守られていたいんだよ。誰かに相談したいよ。誰かに私を肯定してもらいたいよ。

誰でもいいんだよ。私を肯定してよ。「そうだね」「がんばったね」って、言ってほしいよ。

0404

桜が咲いていた。誰もいない公園に、誰もいない道に。誰もいない街?そうなら良いけど。

センチメンタルな季節だ。死にたいと生きたいを繰り返しながら、私は今年も生き続けるんだろうな。

 

そっと確実に訪れる幸せが街に充満している。

それが春であり、桜が象徴してるのも同じことなんだろう。

桜は確実に散っていく、散っていくんですよ。綺麗なのは確かだけれど、桜を見るたびに感傷的になり、下を向いてしまう。散った花弁が落ちている。

 

「願はくは花の下にて春死なん そのきさらぎの望月のころ」

桜の樹の下には屍体が埋まっている」

やっぱりそうなんだろう。

私も桜の下で死にたいかもしれない。美しく死にたいかもしれない。そんなこと、できないかもしれない。

0305

どうして生きていますか?わからない。

こんな話をすると本気で心配されるけれど、じゃあなんで君は生きているんだ。

 

生きていて良かったと思うのは、素敵な景色を見たときや、素敵な体験をしたとき。でも「素敵な景色や素敵な体験のために生きている」とは思えなくて、それらを求めているのは私が自ら命を絶たないようにするためだと思う。それらがなければ私はいつか自ら命を絶つだろう、でもそれは絶対に嫌だ。自ら命を絶たった自分の姿、愚かで情けなくてどうしようもない。

 

では、自ら命を絶たないために生きている?

転じて、自分が納得する最期に辿り着くために生きている?

納得する最期とは、一体。

 

「生まれてしまったものは仕方ない、せっかくだし死ぬまでにいろいろ経験しとくか」

 

あーあ、しょーもな。

0227

冬が終わりそうだ。

冬の景色は心が悲しくなるのであまり好きではない、否、夏の景色が好きすぎるので相対的に冬があまり印象に残らない。

 

よく考えたら、春夏秋冬すべてセンチメンタルで死にそうになっている。春の平和さ、夏の儚さ、秋の悲しさ、冬の切なさ、死ぬ。

 

夏、周りに民家のない盆地の広い田んぼの畦道で隕石を真に受けて死にたい。

 

冬に思い出す夏が一番良いという話、本当だと思う。それは夏のマイナス点である暑さを今思い出すことができないため、プラス点である景色だとか風物詩という思い出せる情報だけで善し悪しを決めているからだけれど、それでも夏が良い。言わずもがな、夏には水田があるからである。

 

水田が良い、水田が良い。

夏の、水田が、良い。

夏の水田を見るために、今生きているし、来年の水田を見るために、夏生きている。

もしこの世から水田がなくなったら、精神が壊れて死ぬんだろうなと思う。本気。

 

去年の夏、上京して初めての夏、なんとなく毎日辛くてなぜか涙が出ることが多くて、悲しくて辛くて精神不安定だったのだけど、東京から出て水田を見に行ったら、本当に見事に元気になった。水田が私を生きさせた。本当。