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いそ生活

不文律の文

0305

どうして生きていますか?わからない。

こんな話をすると本気で心配されるけれど、じゃあなんで君は生きているんだ。

 

生きていて良かったと思うのは、素敵な景色を見たときや、素敵な体験をしたとき。でも「素敵な景色や素敵な体験のために生きている」とは思えなくて、それらを求めているのは私が自ら命を絶たないようにするためだと思う。それらがなければ私はいつか自ら命を絶つだろう、でもそれは絶対に嫌だ。自ら命を絶たった自分の姿、愚かで情けなくてどうしようもない。

 

では、自ら命を絶たないために生きている?

転じて、自分が納得する最期に辿り着くために生きている?

納得する最期とは、一体。

 

「生まれてしまったものは仕方ない、せっかくだし死ぬまでにいろいろ経験しとくか」

 

あーあ、しょーもな。

0227

冬が終わりそうだ。

冬の景色は心が悲しくなるのであまり好きではない、否、夏の景色が好きすぎるので相対的に冬があまり印象に残らない。

 

よく考えたら、春夏秋冬すべてセンチメンタルで死にそうになっている。春の平和さ、夏の儚さ、秋の悲しさ、冬の切なさ、死ぬ。

 

夏、周りに民家のない盆地の広い田んぼの畦道で隕石を真に受けて死にたい。

 

冬に思い出す夏が一番良いという話、本当だと思う。それは夏のマイナス点である暑さを今思い出すことができないため、プラス点である景色だとか風物詩という思い出せる情報だけで善し悪しを決めているからだけれど、それでも夏が良い。言わずもがな、夏には水田があるからである。

 

水田が良い、水田が良い。

夏の、水田が、良い。

夏の水田を見るために、今生きているし、来年の水田を見るために、夏生きている。

もしこの世から水田がなくなったら、精神が壊れて死ぬんだろうなと思う。本気。

 

去年の夏、上京して初めての夏、なんとなく毎日辛くてなぜか涙が出ることが多くて、悲しくて辛くて精神不安定だったのだけど、東京から出て水田を見に行ったら、本当に見事に元気になった。水田が私を生きさせた。本当。

0220

今日も昼に起きた、それは別にいい。

 

大根とお肉で煮物を作り、余っていた野菜で炒め物をして、昨日の残りの酢豚もどきといっしょに、バイト休憩中に食べるつもりでお弁当に入れた。

見事に持っていくのを忘れた。

悔しい悔しいと思いながらコンビニのおにぎりを食べた。コンビニのおにぎりも普通においしかった。

 

ごはん、やっぱり自分で作ると良い。単純な味付けで情報量が少ないので頭が疲れない。

コンビニのおにぎりはおいしいけれど、いろんな味がして疲れる。食品添加物の影響とかは全く気にしないけれど、いろんな味がするなぁと思い始めたらもう疲れて疲れて仕方ない。何の味だ、どういう味だ、そんなこと考えてたらおにぎり一つももぐもぐ食べられやしないんだから。

この大根は醤油とみりんの味。おいしい。

この人参は塩と胡椒の味。おいしい。

これで良い。

 

大学生になって自筆で文を書くことが減ったので、とても漢字に疎くなったと思う。情けない、こうはなりたくないと思っていたのに、見事に漢字が書けないバーチャル世代になってしまったのだ。でもどうしたって、高校の頃に書いていた文字量には敵わないんだからもう脳の衰えをひしひしと受け入れるしかないのだろう。今日は「情報」が思い出せなかった。死にたい。

 

テレビを見て、私も何かでインタビューされたらどうしようかなぁと考えた。何を聞かれても大して面白いことは言えないし、自分の面白いエピソードもないし、つくづく悲しい。